東大阪市商店会連合会の歴史と今日までの運営

★昭和13年9月に商業団体として布施小売振興会が設立され布施商工会議所に事務所を置く。
昭和23年9月、布施市商業連合会が布施市内の全商店を含めた総合団体として、発足し、事務所を商工会議所に置き運営される
★昭和25年(1950)12月に発展的解散し、同年12月6日布施商業連盟が結成され布施市に事務所を置き、会長高岡讃吉氏のもとで、傘下に商店部会、市場部会を置き運営される。
★昭和29年事務所を布施市より、布施商工会議所に移管された機会に、布施商業連盟は再編成し、傘下商店部会(19商店会)を布施商店会連合会(会長津田 実)、市場部会を(11市場)布施小売市場連合会(会長小桜一次郎)として両組織が確立され、商業連盟は、両連合会を統一した連絡機関となつた。
★昭和42年2月に布施、河内、枚岡の3市が合併し東大阪市が誕生、連合会の名称も東大阪市商店会連合会に改め、昭和43年事務局を一時、東大阪市商業協同組合に移し委託、昭和53年に東大阪市商工会義所会館内で独立事務所を設置し今日に至る。

(1)戦後〜30年前半        1945〜1960
中元・歳末大売出し、全日本商店街連合会結成大会参加、他都市商業者の布施への出張販売阻止要望、布施まつり協賛、百貨店対策 商店会連合会団結強化大会(昭和29年9月) デフレ化にあえぐ商業人が不況を打開し危機を突破するため、宣言決議関係諸官庁へ要望

(2)30年後半〜40年前半事業  1960〜1965
中元・歳末大売出し、招待旅行、商店街振興組合法制定運動・国会陳情、商店従業員共済事業(別組織設置)

(3)40年後半から60年代事業  1965〜1987 
中元・歳末大売出し、商店街法人化の推進(平成13年度末現在、振興組合24内会員外4、協同組合2)大型店対策、共同施設(アーケード・カラー舗装)推進、先進商業地視察、インポートセール促進

(4)平成元年〜10年事業     1988〜1998
中元・歳末大売出し、大型店対策、商業激戦地視察会、東大阪市商業まつり協賛、空き店舗対策研修

(5)平成11年〜13年事業     1999〜2001
中元・歳末大売出し、地域振興券支援事業、東大阪市商業まつり協賛、大店法廃止と新法施行猶予期間中の大型店対策、商店街環境整備維持管理補助金確保、歳末消費拡大事業補助金増額、共通商品券事業研究、共通商品券発行事業要望(東大阪市)、協同事業拡大フイージビリティ調査事業(東大阪市補助事業)、カルフールジャパン東大阪出店阻止要望(大阪府)、東大阪ケーブルテレビとの連携

(歴代会長)高岡讃吉・津田実・上仲源次郎・笠井鶴松・松本実三・稲井靖弘・木村芳雄

(高岡讃吉氏)の名文言  
 「街の繁栄は、誰がつくるのか!」
 商工業と一口に云うが私は商工業は全く一体であると考えている。商業者である私が云うのはチト変だが、素直に言うと工業即商業である、工業即生産であるが、生産即販売であることは、工業即商業ということである。 そこで簡の繁栄であるが、これは商工業が共にあってこそ実現できるので、何れの一方のみでは繁栄はない、だから工業が算一に歩いて商業がそれを後から広めて行くのである。ところでこの街(布施)の商業的繁栄を誰がつくるのかというと、それは商業者の自己を没した献身的努力によって達成されるのである。その土地の発展はその土地の人々の努力によってのみ達成されるとの、信念を今も捨て得ないものである。 草のボウボウと生ゴミの捨て場であった旧都留弥神社の宮跡が(現在の布施戎神社)、土地の人々の熱意と協力によって立派に布施戎神社となって十日戎には3万(当時)の人々集めたでないか、このとき某新聞は「布施銀座」とよんで繁華街を表具したのは、決して故ないことではないのである。 このように街の発展は商業の発展であって、そのためには、先ずその土地の人々の取り組みえの団結と努力で、それを本気になって支援してくれる団体と言う組織の力あってこそ街の発展があるのである。