河 内 鋳 物
鋳物は大陸文化が大和に伝えられる途上、鋳物の技術が河内に伝えられたという歴史が残され、有名な鋳物師がいて、平安以降、河内鋳物として広く知られ、鍋、釜などが作られていた。
しかし、東大阪市域に鋳物の技術が本格的に伝えられたのは江戸期のことで、明治以降、機械の国産化が進められ、特に第二次世界大戦で軍需産業にとって鋳物部品は欠くことが出来ず、これら機械等の関連下請産業として形態をとりつつ、発展した。
戦後もミシンや電機などの機械が成長するにつれて大阪鋳物として主要な役割を果たしてきたが、今日のごとく都市化が進み、鋳物工業が立地するに困難という状況になっている。
今回、古代銅鐸復元に成功した河内鋳物師、上田合金株式会社の上田富雄社長は長年の研究の末、古代青銅の合金比率や製法の謎に挑戦克服し、ついに全高1.6m 最大幅1.1m 重さ300sの超巨大青銅製銅鐸を完成させた。
デザインイラストレーター(成瀬國晴氏)
製作者 上田合金株式会社(東大阪市高井田中4−1−17)